書評:『サピエンス全史』ユヴァル・ノア・ハラリ 著

「人類はなぜ地球を支配できたのか」――壮大な問いへの刺激的な答え、ただし鵜呑みは禁物


はじめに

正直に言うと、最初はずっと積読だった。帯に「ビル・ゲイツ絶賛」「世界48カ国で刊行」と書いてあって、なんというか、そういう”権威推し”の本って実際読んでみると期待外れなこともあるじゃないですか。だから手が伸びなかった。でもある日の夜、ちょっとだけのつもりで読み始めたら、気づいたら朝になっていた。そういう本だった。


どんな本か

著者はイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ。2011年にヘブライ語で出版され、その後世界中に翻訳された。日本では河出書房新社から上下巻で刊行されており、最近文庫版も出た。

内容は文字通り「サピエンスの全史」だ。約7万年前のホモ・サピエンス誕生から現代まで、認知革命・農業革命・科学革命という3つの大きな転換点を軸に、人類がどうやって今の姿になったのかを一気に描き切る。歴史書なのに小説みたいに読めてしまう、そういう稀有な本だ。


読んでよかった点:「虚構」という視点が世界を変える

本書のいちばんのキーワードは「虚構」だ。国家、貨幣、企業、宗教、法律……これらはすべて、実体のない「人間が信じることで成立している物語」にすぎない、とハラリは言う。チンパンジーは頑張っても50頭ほどの群れしか作れないが、ホモ・サピエンスは何百万人もの人間を束ねる社会を作ることができた。その秘密こそ、「存在しないものを信じる能力」=虚構を共有できる力だというのだ。

この視点が、読んでいてとにかく面白い。「お金なんて紙切れじゃないか」とは誰もが言うが、実際に「じゃあ貨幣をなくそう」と言い出す人はいない。宗教を信じない人は増えても、貨幣を信じない人はほぼいない。貨幣は人類がいちばん深く信頼している虚構なのだ、という指摘はなんか笑えて、でも本当にそうだなと思ってしまった。

農業革命の章も衝撃的だった。歴史の授業では「農業の発達で人類は豊かになった」と習ったはずなのに、本書では「農業革命は人類にとって罠だった」と主張する。農業によって食料の総量は増えたが、人口も爆発的に増えたため1人あたりの食料は減り、労働時間は狩猟採集時代より長くなった。農作物の不作や天災への脆弱性も生まれた。「小麦が人類を家畜にしたのかもしれない」という逆説的な表現は、ちょっと頭に残り続けてしまう。

さらに下巻では「文明の発展は人類を幸福にしたのか」という、答えの出ない問いが続く。現代人は中世の人間よりも客観的に豊かで安全な暮らしをしているが、「幸福」は相対的な概念であり、基準値からのプラスとして感じるものだ。個人主義の発展と伝統的コミュニティの解体を経て、現代人がむしろ孤独で不幸になっている可能性もある、とハラリは言う。読んでいて、正直ちょっと怖くなった。


気になった点:それって「事実」なのか「仮説」なのか

素直に面白かった、というのが全体の感想だ。ただ、読み進めるうちに少し引っかかる部分も出てきた。

まず、本書の主張はかなりの部分が「大胆な仮説」だ。著者が語るスケールは宇宙的で、7万年分の人類史を一つの物語として語り切るためには、当然ながら大きな「省略」と「解釈」が必要になる。Amazonのレビューでも複数の読者が指摘しているが、ハラリの主張には広範な一般化が含まれており、それが確定的な事実として書かれているように見えてしまう文体の問題がある。専門の歴史学者から見ると「それは証拠があるのか」と言いたくなる箇所が少なくない、という指摘もある。

さらにnoteで読んだ批評的な感想(yo_c1973111氏)では、下巻において著者の思想的バイアスが随所に顔を出すと指摘されていた。著者はイスラエル人であり、宗教・帝国・植民地主義をめぐる語り口に欧米中心的あるいは著者独自のフィルターがかかっているのではないかという点は、確かに気になった。「オッペンハイマーにノーベル平和賞を」という記述も、挑発的すぎてどこまで本気の主張なのか判断が難しい。

また、「歴史・生物学・経済・宗教・哲学をすべて横断する」という本書の野心的なアプローチは魅力であると同時に、それぞれの専門分野の研究者から見ると粗削りな箇所が出やすい。歴史の教科書として読むと裏切られるかもしれないが、「人類を俯瞰した知的エンターテインメント」として読めば、これ以上の本はなかなかない、というのが正直なところだ。


日常にどう還元するか

note(もとやま氏)の記事に面白い視点があった。「虚構を知ることで、虚構に振り回されなくなる」というのだ。会社の評価基準も、昇進も、バリューも、ぜんぶ虚構だと気づければ、それに命を削るほど執着しなくて済む。本書はそういう、メンタル的な「解放」の効果もあるかもしれない。

個人的には、「問題解決は新たな問題を生む」という農業革命の教訓が仕事にも使えると思った。何かを改善するときに「この解決策の副作用は何か」を考える習慣は、7万年分の人類の失敗から学んだ知恵だ。


まとめ

項目評価
知的興奮・面白さ★★★★★
読みやすさ★★★★☆
内容の学術的厳密さ★★★☆☆
現代生活への応用★★★★☆
ボリューム(上下巻)読み応えあり、ただし重い

こんな人におすすめ: 歴史や人類に興味がある人、世界をマクロな視点で捉えたい人、「なぜ今の社会はこうなっているのか」が気になる人、知的な夜更かしをしたい人。

こんな人は注意: 厳密な歴史的事実として読みたい人、専門的な学術書を求めている人、著者の大胆な主張に引っ張られすぎると危険かもしれない。


最後に一つ。本書を読んで一番残ったのは、「文明は人類を幸せにしたのか?」という問いだ。お金も国家も企業も宗教も虚構だとわかったところで、じゃあ何が「本物」なのか。その問いに著者は明確な答えを出さない。読み終わった後に、なんとなくぼんやりした感覚が残るのだが、それ自体がたぶん、この本の力なのだと思う。


著者:ユヴァル・ノア・ハラリ / 訳:柴田裕之 / 出版社:河出書房新社(文庫版:河出文庫) 世界48カ国以上で刊行 / 累計200万部以上(世界)