「52の思考の道具箱」――誠実な自己啓発書の傑作、でも全部使おうとしないこと
はじめに
自己啓発本というジャンルに少し疲れていた時期があった。「これをやれば人生が変わる」「成功者の習慣10選」……そういう本を読むたびに、なんとなく元気になって、なんとなく翌月には忘れている。そのサイクルに嫌気がさして、しばらく自己啓発本を避けていた。
そんな自分が手に取ったのが、ロルフ・ドベリの『Think Clearly』だ。帯や表紙に「よりよい人生を送るための思考法」とある。あ、また同じ系統の本か、と思いながらも読み始めたら……これは少し違った感じがした。
どんな本か
著者はスイスの作家・実業家。航空会社のCEOを経て、世界最大規模のビジネス書要約ライブラリ「getAbstract」を設立した人物だ。本書はドイツで25万部のベストセラーとなり、世界29カ国に翻訳されている。日本では2019年にサンマーク出版から刊行、478ページの大著だ。
内容は「よい人生を送るための52の思考法」。各章が独立したショートエッセイ形式になっており、思考の道具箱を一冊にまとめた本、と著者自身は言っている。その道具の材料は、過去40年間の心理学研究の成果、ストア派哲学(マルクス・アウレリウス、セネカ)、そしてバリュー投資家の思考(チャーリー・マンガー、ウォーレン・バフェット)の三本柱だ。
読んでよかった点:「よい人生とはわからない」という誠実さ
まず冒頭で著者がこう宣言する。「よい人生とは何か、私にはわからない」と。よい人生について書いた本を書いているのに、だ。
普通の自己啓発本なら「成功の法則」や「幸せの方程式」を断言する。でもこの本はそれをしない。世界は複雑で、たった一つの答えなんてない、だからこそ多様な「道具」が必要だと言う。この率直さが、他の自己啓発書と一線を画している部分だ。
特に印象的だった章をいくつか挙げたい。
**「簡単に頼みごとに応じるのはやめよう」**は多くの読者が真っ先に共感する章だろう。著者はチャーリー・マンガーの「5秒決断ルール」を紹介している。頼みごとをされたら5秒以内に判断する——するとほとんどの場合、答えは「ノー」になる。人に好かれたいという本能(互恵的利他主義)が、私たちの時間と自由意思を奪い続けているという指摘は、痛いほど的確だ。
**「幸せを台無しにするような要因を取り除こう」**という章も刺さった。よい人生を手に入れようとするより、よくない要因を一つずつ排除していく——このネガティブなアプローチが実は近道だという逆説。バフェットやマンガーの投資哲学に通じる発想で、勝つことより「負けないこと」を重視するという考え方だ。
**「内なる成功を目指そう」**という最終章に近い部分も深かった。高収入、肩書き、賞——外側の成功を追い続けている人も、その目的は結局「心の充実」だ。だったら最初から内なる充実を目指せばいい。わかっているようで、忘れてしまうことを静かに思い出させてくれる。
「心の引き算」のエクササイズも面白い。自分がすでに持っているものを失った状態を想像することで、今の豊かさに気づく。バルセロナ五輪の調査で銀メダリストより銅メダリストのほうが幸福度が高かったという事実が引用されているが、これは銀は金と比較し、銅はメダル圏外と比較するからだという説明が腑に落ちた。
気になった点:52個は多すぎないか
正直なことを書こう。本書を通して読んで、「これは一度では消化しきれない」という感覚が残った。
52という数字、多くないか? ある熱心なレビュワー(みにまるなひげ氏)も書いているように、多くの読者にとって「今まで読んだ自己啓発書・ビジネス書の総まとめをした感覚」になる。つまり、すでに自己啓発書をたくさん読んでいる人には既知の内容も相当含まれている。「へえ、初めて知った」という章と「あ、これ他の本にも書いてたな」という章が混在している。
またブクログのある読者が指摘しているように、本書には微妙な矛盾もある。「読む本を制限して、同じ本を2回読もう」と勧める章がある一方で、「小説はたくさん読もう」とも書いている。どっちなんだ、と思う読者が出てくるのは当然だ。著者の「読書の仕方を変えてみよう」という章自体が、他の章のメッセージと若干ぶつかっている。
さらに言えば——これは本書だけの問題ではないが——自己啓発書に52の道具を詰め込んで「使いこなせ」と言うのは、「食材を100種類揃えました、うまく料理してください」と言うようなものだ。結局、日常で使う思考の道具は2〜3種類に絞られるはずで、残りの49章はページを埋めるためではないか、という疑念が浮かぶ。
読書メーターでの評価が62%というのも、ベストセラーとしてはやや低めだ。「前半は面白いが後半に向けて集中力が切れた」「精神論的なニュアンスが強くなってくる」という声が複数見られた。全52章を均等な密度で読み切るのは、かなりの根気が必要だ。
どう読むべきか
note(ロッシー氏)の書評に、本書の最も賢い使い方が書かれていた。「全体像を知った上で、自分が特に重要だと思う章を選んで、それを徹底的に身につける」というやり方だ。
たしかにこれが正解だと思う。「辞書的に使う」ことで本書の真価が出る。全部を一気に吸収しようとすると必ず息切れするが、「最近Noが言えなくて困っている」「嫉妬が止まらない」「SNSの評価が気になりすぎる」という具体的な悩みを持ったときに、該当の章だけ読む。そういう使い方をする本だ。
まとめ
| 項目 | 評価 |
|---|---|
| 読み応え・情報量 | ★★★★★ |
| 実践への落とし込みやすさ | ★★★★☆ |
| 読みやすさ(全体通読) | ★★★☆☆ |
| 思想的な一貫性 | ★★★☆☆ |
| 辞書的・部分読みとしての価値 | ★★★★★ |
こんな人におすすめ: 「よい人生」について漠然と考えているすべての人。自己啓発書に疲れたが、何か一冊は手元に置いておきたい人。行動はできているが、思考の習慣を整理したい人。
こんな人は注意: 一気読みして全部実践しようとする人(挫折する)。すでに自己啓発書を大量に読んでいる人(半分以上は既知かもしれない)。「たった一つの答え」を求めている人(この本はそれを出さない)。
読み終えて一番残ったのは、「よい人生とはわからない」というあの冒頭の一文だ。答えを断言する本よりも、答えがわからないと認めた上で誠実に考え続ける本のほうが、長く手元に置いておける。そういう意味で『Think Clearly』は、読み捨てではなく「置いておく本」だと思う。
ただ、全52章を一年で一章ずつ読むという使い方を提案しているレビュワーもいた。それくらいゆっくり向き合う本なのかもしれない。急いで読み終えることが、本書の教えに一番反しているかもしれないから。
著者:ロルフ・ドベリ / 訳:安原実津 / 出版社:サンマーク出版(2019年) 原著はドイツで25万部突破 / 世界29カ国翻訳