本屋大賞を受賞したと聞いたとき、正直なところ「いつか読もう」と思いながらしばらく後回しにしていた。「不登校の中学生が鏡の向こうの城に集められる」という設定は、どこか子供向けのファンタジーのように聞こえたし、5万件を超える読書メーターの登録数を見ても、なんとなく自分には縁遠いような気がしていた。
背中を押してくれたのは、友人の一言だった。「最後の方のページはひとりで読んだほうがいい」。大げさだろうと思いながら、ページを開いた。
「孤城」という言葉の重さ
本書の冒頭には「孤城」の辞書的定義が載っている。「ただ一つだけぽつんと立っている城」「敵軍に囲まれ、援軍の来るあてもない城」。この二行だけで、すでにこの物語が何を描こうとしているかが伝わってくる。
主人公の安西こころは、中学1年生の春に学校に行けなくなった女の子だ。きっかけはいじめとも言い切れない、うまく言葉にできない何かで、それがかえってリアルだった。自分が「被害者」という言葉で括られるのを本能的に拒否する、あの感じ。辻村深月はそこを丁寧にすくい上げている。
ある日、こころの部屋の鏡が光り始め、くぐり抜けると城があった。そこに集められた7人の中学生は全員、何らかの事情で学校に来ていない子どもたちだ。城には謎のルールがある。3月30日までに鍵を見つけた者だけが、一つだけ願いを叶えてもらえる。
7人の人物造形
7人それぞれの「つまずき方」が、突飛な設定ではなく身近なものとして描かれているのが本書の強みだ。家庭環境、体の問題、人間関係のこじれ——どれも「そういうことはある」と素直に思える。著者は「自分もそうなっていたかもしれない、という人の心理を掬い取りたかった」とインタビューで語っているが、その言葉通りだった。
特にマサムネというキャラクターが良かった。いつも斜に構えていて、最初は好感を持ちにくい。それが後半になって少しずつ崩れていく様子が、いかにも中学生らしくて、こそばゆいほどだった。
伏線回収の快感と、少しのもやもや
下巻に入ると物語は一気に動き始める。散らばっていた違和感が次々と回収されていく過程は、純粋に「うまい」と思った。鍵が何だったか、オオカミさまの正体、喜多嶋先生の存在——それらが一本の線でつながる瞬間の気持ちよさは、確かに本屋大賞に値するものだった。
ただ、率直に言うと、伏線のいくつかは読み進めるうちに予測できてしまうものもあった。ブクログでも「展開と結末は予想通りだったけれど、分かっていても泣いた」という声があった。これは批判というより、仕掛けの精巧さと丁寧すぎる布石のトレードオフとも言える。
もう一点、気になったのは、こころをいじめた真田美織の扱いだ。物語の終盤、彼女は「言葉が通じない」という一言で処理されてしまう。加害者の内面が描かれないことへの釈然としなさは、複数のレビューでも指摘されていた。「大人と子供両方にフェアであろうとした」という著者の言葉と、この描写の落差は、やや気になるところだ。
また、著者自身には不登校の経験がないとWikipediaにある。これ自体は問題ではないが、一部の読者が「当事者の痛みに寄り添えているか」という疑問を持つのも、まったく無理のない反応だと思う。批評家の中には「通俗小説の域を出ない」という厳しい声もあった(年間読書人のnote)。文学的な凄みという意味では、そういう評価と向き合う必要があるのも確かだ。
「闘わなくても、いいよ」
それでもこの本が200万部を超えた理由は、この言葉に集約されていると思う。「闘わなくてもいいよ」。それは安易な逃げを肯定しているのではなく、今すぐ立ち向かえなくてもいい、ということだ。城に集められた7人は、問題を「解決」してから城を去るわけではない。でも、城での時間が、現実を生き抜く力になっていく。
Amazonのレビューに「大人である現在の自分と、子どもだったあの頃の自分の両方を、同時に慰めてくれる小説はこれが初めてだ」という一文があった。その感覚は、読後に自分のものとしても実感できた。
まとめ
完璧な小説ではない。いじめっ子の内面が描かれないこと、一部の伏線が読み透かされやすいこと、文学賞的な文脈で評価されにくい「通俗的な明快さ」——それらは確かにある。ただ、それらを差し引いても、この物語には誰かに手渡したくなる何かがある。
友人が言った「最後の100ページは別の部屋で読んだほうがいい」という言葉の意味は、読み終わればわかる。
著者: 辻村深月
出版: ポプラ社(2017年)
受賞: 2018年本屋大賞、9冠達成
累計部数: 200万部突破(2023年10月時点)